親が子供に残すべきもの
投稿日 : 2015年06月17日, カテゴリー : 塾長のBLOG
親であれば誰しも自分の子供の幸せを願う。どの時代、どの地域社会においてもそれは変わらない。しかし、その幸せの意味を勘違いしたり、読み誤ったりして結果として取り返しのつかない事態を招くこともしばしばである。
人間の幸せは心の充実感である。言い換えると結果を出そうとしている過程が大切なのであって、結果そのものにはあまり価値はない。結果は目に見えることが多いが、たとえ良い結果が出てもその幸せ感は一時的なものに過ぎない。永続的な幸せ感は思考過程、行動過程にこそ存在する。
子供たちの置かれている環境の中で最近特に感じることは結果重視主義だということである。たとえばスマホなど自分がほしいと思う高額な品物を買い与えられたり、ゲームソフトなどの遊びをパッケージとして買ってもらったりとお小遣いの範囲を大きく超えた品物を手に入れている子供たちが非常に多い。手に入れ方もそれぞれであるが、単におねだりしたり、テストで良い点数を取ればという条件付きだったりする。前者は努力なしでも物を手に入れたい人間に、後者は条件がなければ行動しない人間に育つ。いずれにしても幸せをつかむ力を削いでいることに変わりはない。
心の持続的な充実感は自分の頭で考え、自分の意思で行動する人間にしか与えられない。なぜなら心の充実は他人に与えてもらうような他律的なものではなく、自律的なものだからである。しかし、そうは言ってもどのように考えるのか、どのように行動するのかについては、お手本となるモデルが必要である。そうでないと自分の頭で考え自分の意思で行動するという自立の呼びかけは抽象論で終わってしまう。
そのモデルの提示と刷り込みが親の役割であり、子供に残すべき唯一のものである。そういう意味で親になるということは大変なことであり、覚悟がいる。少なくとも20歳代から40歳代の子育て中の親はそれなりの自覚と責任を持って子供たちを導いてほしいと思う。
ただモデルとなると言っても大仰なことではない。自分の頭で考え、自分の意思で行動することを親にも求めるだけである。つまり親も自立して自分の生活を送ること、逆説的な言い方をすれば親も心の充実を真剣に求め、その幸せを感じている様子を子供たちに見せることである。心に平安があり、心の充実を感じている親の姿ほど子供を安心させるものはない。そして、子供たちはそうなるための在り方とやり方を親を通して学び、それがひいては子供たちの幸せ感の礎となるのである。