成長する正しい道は「在り方ごと入れ替える」にある
投稿日 : 2014年03月19日, カテゴリー : 塾長のBLOG
聖書の一節に「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」とある。これは新しいことをするときは従来の古いやり方や考え方で行うのではなく、新しいことをするにふさわしい心持ちとやり方で行いなさいという教えである。
大人になれば誰でもそうであるが、自分の生き方はそれなりに固まっている。自分の思い描く人生の通りに今が進んでいるならば、その考え方、やり方を貫けばいいだろう。しかし、多くの人たちは今の自分に満足はしていない。
そういう状況になると人間は次の二通りのやり方でその満足できないところを補ったり、解消したりする。一つは満足できない原因を自分や他人のせいにして不平不満という形で行動する。もう一つは満足できない原因を分析し、その上で新しいことを考え行動する。
前者についてはストレス解消には役立つであろうが、何の成長もない不毛の生き方に繋がる危険性がある。
問題は後者についてである。おおむねこういうレベルの人たちはもっと良くなりたいという意識が強く、将来有能になる素質を持っている。だから、心から応援したいと思っているが、残念ながらそのやり方を知らず、間違った方法論で苦しんでいる。
要諦は古い思考概念を捨ててそれをするにふさわしい環境設定をすることである。詳しく考えてみよう。人は今の生活に十分満足していれば現状を変えたいとは思わないだろう。また、不満の程度が低く何かを少し変えれば済む場合はおそらく多少の努力をすれば望む結果を得ることができるだろう。たとえば、毎日30分間散歩をする習慣がある人が散歩時間を40分に伸ばすときは比較的スムーズにできるようになると思う。
しかし、今までとはかなり落差のあることをやろうとするときは注意が必要だ。たとえば、勉強の習慣が全くない人が毎日3時間の勉強をすることを決意し実行する時などは多くは失敗に終わる。なぜか?それは0→3時間というやり方だけを変えてしまって、3時間勉強するに至った目的と意思、更に3時間勉強するにふさわしい環境を含めたすべてを今までのそれと置き換えることをしないからである。やり方だけを変えて実行すると日常生活の基礎は元のままなので、新しくやる量や時間だけがいつもより増えて、頑張らざるを得ない状態に追い込まれ、長続きはしなくなるのである。
したがって、何か新しいことを始めるときは、今までのやり方を含めた在り方そのものをかえること(パラダイムシフト)が肝要で、そうすることによって「頑張る」という精神活動を伴わなくても「普通に」新しい行動を受け入れることが出来るようになる。先ほどの例で言えば、単に3時間勉強することを頑張るではなく、たとえば「病気で苦しんでいる子供たちの役に立つために看護士になる。その資格を得るために3時間勉強する」と決意し、今まで遊んでいた時間を勉強する時間に充てる環境づくりをも同時に行えば、3時間の勉強は余裕で実行することが出来る。
このようにあり方ごと入れ替えることが成長する方法論として必要だと考える。