ゆとり教育の肯定と否定の狭間で

投稿日 : 2012年06月18日, カテゴリー : 塾長のBLOG

数年前からゆとり教育の修正や否定が声高に叫ばれ、本年度から本格的にゆとり教育の否定の上に立った新指導要領が実施されています。このこと自体についてはおそらく正しい方向へ歩み出したと私は考えています。なぜなら、私たちは言葉を媒体にして情報を収集し、その収集した情報を基に思考し、その考えたことを言葉を使って相手に伝えるというサイクルの中で力(思考力、学力、コミュニケーション能力、生きる力など)を身につけていきますが、従来のゆとり教育では前提となっている「言語力」が軽視され、難しい問題が敬遠された結果、子供たちの思考力がかなり低下したと感じたからです。

ところで、政治家や官僚はいろいろな指標を見ながら政策を決め、実行に移しているとは思いますが、基幹となるべき「国家100年の大計」ではなく、その場主義による変更が多すぎるように思います。たとえば、今回の変更も世論の動向やOECDによるPISAテストなどに一喜一憂した結果であるような気がするのです。1990年代のフィンランドや韓国が、経済的に行き詰った状況を「教育」と「IT」で打開するべく勇猛果敢にその政策を実行したごとく、少なくとも国家存亡の危機感を持って教育行政を行ってほしいものです。

それはともかく、問題はそのことではなく、従来のゆとり教育で教育を受けてきた子供たちのことです。彼らは言ってみれば、ゆとり教育に翻弄され、勉強の価値を信じることができないまま現在に至っています。特徴としては、日本語の語彙が少ない、漢字が書けない、計算のスピードが遅くしかも間違う、調べたり質問したりすることが面倒くさい、自分の頭で考えることができない、・・・・。おおざっぱに言ってそのような傾向を持つ子供たちに、「さあ、今日からがんがん知識を覚えてもらって、とことん考える勉強をしてもらうよ!」と言うようなものです、今回の改定は。

今の子供たちが教育行政の犠牲者であるならば、私たちは彼らを救わなければなりません。どうすれば救えるか?手順としては、まず子供たちに大人が謝り、そして日本の将来と君たちの未来は君たちの勉強に懸かっていることを親や教師が本気になって伝える努力をするべきでしょう。その上で、子供たちに猛烈に勉強してもらうしか打開の道はないと私は思います。

蛇足ですが、子供に勉強させたかったら、親が真剣に勉強することです。そうすれば子供はそれに感化されて必ず勉強するようになります。

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